太一のブログ

基本日記を書いていきます。

感情の整理

心の平静

人によって心の平静の状態というのは異なるものである。人とともに行動しているときに感じるかもしれないし、一人でいる時間が平静を保っていると感じるかもしれない。

少なくとも、こうした状態にある間は居心地がいい、または落ち着くことができている状態であって、よくない状態にあるわけではない。

ただ、これらの状況下で何かしらの要因によって乱されたとき、人は動揺や怒りなどのマイナス方面の感情が生み出されると思う。例えば、小学校の頃に自分が漫画を読んでいた時に親から「宿題をやりなさい!」と声をかけられたことがあると思う。その際にはだいたい「今やろうとしてたじゃん!やる気なくなったわー。」といった感じの反応を返していたと思う。(なお、こんな経験したことがないという人に関しては、とても優等生であったのだなと思ってほしい。)

このことから、平静を崩されるのは人にとってかなり嫌なものとなっていることがわかる。幼かったころならその感情をぶち撒けていればよかったが、大人になるにつれてそういった感情は自分のうちに仕舞うか、愚痴を言うなどして、その場で発散しないようになっていく。そうすると感情というのは積もり積もっていき、渦巻き、悩まされる。

 

耐えることと吐き出すこと

こうしてたまっていった感情の波は次第に人格にも影響を及ぼすようになる。この波はどんどん増幅していくので、負のループとなって気持ちが落ちていく。こうして落ちた気持ちが物事の判断にも反映されていく。

そして、周囲の人にはネガティブな状態の自分がデフォルトととらえられ、初めからネガティブであったと思い込み、落ちていった気持ちに気づくことがさらに困難になる。

こうなってくると自分がもともとはどういう生き方をしていて、どういう考え方をしていたのかということを考えることができなくなる。 

 ここまで耐えてしまうと、ただ生きているだけでもかなりしんどくなってくる。なので、こうなってしまう前に感情は吐き出さなくてはならない。 

こういう状態に陥っているときはひたすら自分自身のことを認められなくなっていることが多い。そこで、必要になってくるのが「ちゃんと話を聞いてくれる」友人の存在だ。

ネットやSNSに自分の気持ちを書き込んだところで晴れる気持ちなんてたかが知れているのである。まあこの部分は人にもよると思うが、自分の人となりをわかってくれているのといないのとでは、返してくれる言葉の重みというか、思いのこもり方が違うと思うのだ。

気心知れた相手に相談すること(なんなら自分語り)で気持ちをリセットさせるのだ。その際に相談相手に話の内容を否定されると自分の心にクリティカルヒットでダメージ二倍となって返ってくるので、あらかじめ「否定しないでね」的なことを言っておくのがいいと思う。

 相手に話しながら、自分の話を客観視することを意識して負のループがどこで起こってしまっているのかを見極めて、ブレイクスルーできるよう意識しよう。この意識がないとただの依存になってしまい、相談相手にさらに迷惑をかけることになるからである。

 

そして、悩みを吐き出し切った後にはうじうじ考え込まずに先を見据えるようにしよう!

 

いくら考えたところで、過去はもう何も変わらないからである。

 

相談に乗る人たちへ

相談に乗ってくれる人たちという存在は本当に有難く、またかけがえのないものだと思う。ただ、相談してくる人というのはあたり一面地雷原のような人なので、話題やリアクションを選ぶ際は気を付けてほしい。例えば、「つらいときは楽しいことをするといいよ!」なんて返してみるならば、大概の相談者は内心、

 

「そんな余裕ねぇよ。」「人生楽しそうですね、僕とは違って。」

 

とまあこんなことしか考えられないような状態になっているのだ。べつに成功体験を聞きたいとは思ってないのだ。

 

追い込まれている人たちはこれでもかというくらい卑屈で臆病になっているのである。

自分のことをカスとしか思えなくなっているので、話を聞いてくれるだけで救われるのだ。

 

 優しく諭してあげてください。

 

 

 

考え方のお話

情報の偏食に注意

最近、自分のツイッターのフォロワー関係によって、タイムラインが現政権の批判ニュースであふれかえるようになった。正直言って、自分は政治に関してどっちよりとかはないのだが、こうも批判的内容の記事ばかりが目に付くようになると否が応でも現政権批判寄りになってしまう。自分でもこうなっていることは実感できている。さすがに事実無根で言いがかりのような記事にはあまりなびかないが、テレビで報道されている出来事を別の視点から批判している内容を見ると、なるほどと思うこともある。

ただ困ったこともあって、既存マスメディアという、情報のソースとしては一定の信頼性があるメディアの情報を根本から疑うようになったのである。おそらく、言いがかり的な批判といったものはこういったところから起こるのであろう。

 

こういったように、情報社会において一つの出来事に対して何通りもの見方というのができる環境になった。その中から自分にとって都合のいい事実を全体の認識としてしまいがちにならないように気をつけたいと思った。

 

 自分の意見を持つことの大切さ

上記のように、批判的な情報を取り入れることで多角的なものの見方ができるようになるというメリットがある一方で、自分の考えをはっきり持たず、盲目的に情報を信じてしまうようになると、ありもしない出来事を本当のこととして拡散してしまうようになるというデメリットもある。

このデメリットはリテラシーをしっかり身につけられている人であれば全く問題はないのだが、大多数はそういった情報の取捨選択の能力を身につけられていない。さらに、そういった紛らわしい情報は本当のことの中に少しのウソを混ぜ加えることで、拡散されやすいようになっている。

また、書いてあるニュースは正しいが見出しが釣り見出しとなっていて、受け手がミスリードして情報を拡散すると発信元が意図するところとは違う形で記事が拡散されたりもする。

 

こういったデメリットは、ほかの記事や自分の意見と比較対象を行わないことによって発現してしまうと思う。だから情報を受ける際にはしっかりと自分の意見をもって、比較することで正しく情報を理解しようとするべきだと思う。

 自分の知識に慢心せず、客観視できる視点を身に着けたいと思うわけである。

 

 

「帰省」 その4(終)

酒と米菓とおにぎり

お酒に関しては前回の記事で述べたので、今回は米菓と新潟にあったおにぎり専門店の話をしたいと思う。

 

せんべい王国

新潟といえば米である。そして、その米を加工することでも特色を生かしている。これは前回でも述べたことだと思う。ということで、米菓について述べていく。

 

まず、だれでも知っているものとして柿の種があげられるだろう。お酒のお供として、全国で親しまれていることだと思う。そして、多くの人が知るメーカーは亀田製菓だと思われる。柿の種には様々なフレーバーがあって、ご当地感あふれる商品になってることもあると思う。亀田製菓の工夫はすさまじいものである。

しかし、新潟に行けば顕著にわかることで、様々なメーカーが柿の種を生産しているのである。しかも驚くことに、柿の種の発祥は亀田製菓ではなく、浪花屋製菓という企業が生み出したのだ。

他にも、せんべいには似たような商品があるが企業ごとにそれぞれ特色があって、とてもおいしいので、新潟を訪れた際にはいろいろなせんべいを食べてほしいと思う。ちなみに自分のおすすめはサラダホープだ。マジでうまい。

www.kameda-netshop.jp

 

おにぎり専門店の味

「帰省 その2」で述べた友人のJ君に連れられて入ったお店なのだが、「にぎり米」というおにぎり専門店があった。自分自身、高校のころの変な思い出として弁当を毎日3合食べていたというものがあった。その中にはおにぎりもあったわけだが、とにかく量を追及していたのでおいしさ度外視で、もうこれでもかというくらいに握り固められたおにぎりを食べていた。

そんなことがあったので、おにぎりにいい思い出がなかったのだが、このお店のおにぎりを食べてから、自分個人の「おにぎり観」とでも言おうか、おにぎりに対して持っていた何か良くない印象が一掃され、おにぎりの素晴らしさ、本当においしいおにぎりというものを教えてもらった。

何がすごいのかといえば、まず人が握るできたてのおにぎりを食べられることだ。最近では、おにぎりは「コンビニで手ごろに買えてしまうもの」というポジションになり、外食の目的地としてはまず選択肢に上がらないものになっていると思う(そもそも外食でおにぎりが食べられるところなどそうそうないと思うが)。そして目の前で握っているところを見ることができるのだ。案外、おにぎり屋さんに行っても握っているところを目にすることはないのではないだろうか。

 

味の方は文句なしにおいしい。米がうまくてヤバイ(語彙力)。そして具の種類も豊富で、家の近くにあったら通い詰めてすべてコンプリートしようとしてしまう程の種類がある。海苔も文句なし、漬物も文句なしで、新潟県コシヒカリのうまみをさらに引き立てていた。

また新潟に行った時にはまた行きたいと思う。

 

 総括:自分にとっての新潟

これまで四回の記事で、今回新潟に行って何をして、何を見て、何を感じたのかを文にしてきた。もちろん、言葉では言い表せないようなことも感じたし、すべて書ききれているわけでもない。しかし、自分で見たことや感じたことを文に直してみて、その場では気づけなかった感情や変化を見つけることができた。自分の中に埋もれていたものが文を書いていく中で引き出されていって、自分の中に何があって何がないのかを再認できた。

新潟から離れた数年間は本当につらかった。不器用な自分にとって、慣れない環境、作れない本音で話し合える人間関係、空気間の違う人の間に溶け込むためにふるまい方を変える、これらのことをしなくてはならないのがたまらなく辛かった。まともに話をできた記憶がない。息が詰まる思いで毎日を過ごしていた。

今もそうだが、自分の中での一番先の時間、つまり現在のことを指すが、その場その場ではあまりつらいということを感じない。これは慢性的に心が疲れているからかもしれないが、一日を振り返ったりその日の反省をすると、いつも「どう振舞えばよかったのか」という外向けのものと「自分はどうしたかったのか」の内向きの思考に板挟みされていた。

何度も書いているかもしれないが、やはり自分の軸というのは大事だ。この軸がなければどう振舞えばいいのかわからない。先日バイト先の先輩に言われたことで、冗談一つに対してもバカまじめに捉えてしまっているように見えるということがあった。自然に振舞うことができていれば受け答えも自然とできるのであろうが、答える前に考えてしまうのだ。「本当に求められているリアクションは何だろう。」「居場所を作るのにはどうすればいいのだろう。」その間で言葉が、自分の心の引け目というかクリティカルな部分に刺さってしまう。その結果、周りの空気間をぎこちなくしてしまっている。

しかし、新潟に帰った時にはそういったことを考えずに過ごしていたと思う。振舞うということをせず、ありのままの自分で話せていた。自分の深いところにあったものが、求めていたものがこの環境だったのだということが分かった。

 

これからは、ほかの環境に自分を合わせに行き過ぎるのではなく、自分が過ごしやすい環境に周りを引き付けていかなくてはならないと思った。いつまでも甘えてはいられない。もっと自己中心的に物事を考えられるようになりたい。

次回予告

これからバイトで忙しくなってくるので、また期間が空くかもしれないが続けようとは思っている。次回のテーマはあまり決めていないので、お題くれたらそれをやろうと思う。なければ考える。たぶんないと思うが。

 

 

 

 

「帰省」 その3

米と酒ときゅうりと。

最初に

別にさぼっていたわけではないのだが、更新の時期が空いた。自分がやりたいときにやっているブログであって、三日坊主というわけではない。だから見てくれている人は、ブログが上がったときには温かい目で見てほしい。

 

それでは本題に。

 

新潟といえば

まあお米である。あとチューリップ(誰も聞いてない)。ただ単にご飯としてのおコメを生産するだけでなく、お米を加工する産業も有名なのだ。

例えば日本酒や米菓などがある。日本酒に関しては「酒の陣」や「ぽんしゅ館」(後者は実際に行ったので後で触れる)を通じて観光名物として売り出している。

また、米菓は三幸製菓や越後製菓亀田製菓といった有名企業が多くの種類のせんべいを生産している。酒のつまみの柿の種なんかはほとんどが新潟の企業が生産している。まさに地産地消である。

 

ここまで書いて新潟ってお米しかないんだなということしか考えられなくなってしまった。なんか悲しい。(チューリップが出てきたのは奇跡。越後丘陵公園が有名でおススメ。)

 

二十歳になったので……

先ほど書いた通り、「ぽんしゅ館」なるものの説明とそこでのハイライトについて話していく。

ぽんしゅ館のぽんしゅとは、大体予想もついているであろうが日本酒のことである。ここには新潟県で造られている様々な日本酒、地酒を集めている一種のミュージアムになっている。これだけではネットの通販サイトの方が優れているのだが、ぽんしゅ館の強みは他にある。

それは、利き酒ができるコーナーがあるということだ。コーナーに入ってまず500円を払っておちょこと五枚のメダルを受け取る。そして5杯分の試飲権を手に入れ、100種類以上ある日本酒を選んでいくのである。通なら厳選の5杯を選んでいくだろうし、日本酒素人の人でも日本酒入門ができるような感じになっている。

他にはコインを1枚使うことできゅうりを一本食べることができる。このきゅうりにはみそや塩をつけることができるのだが、この塩やみそに対してもこだわりが凄まじいのである。塩だけでも20種類くらいある。やっぱり5枚じゃ足りないね。

さらに、タイミングが良ければ日本酒マイスターのような方が現れて、あまり市場に回っていないようなお酒をお酒に関する話とともに提供してくれるのである。コインは少し多めにかかってしまうが、それを払ってでも飲む価値があるお酒が飲めるのである。

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実際の日本酒ドリンクバーの様子

 

場所は新潟県内の駅ビルの中に入っていることが多い。詳しくはこちらを。

www.ponshukan-niigata.com

 

行った感想

自分はあまりお酒に強くないので7割も楽しめていなかったけれども、それでも満足できるほどには面白い場所である。今回は同級生との飲み会の前に行ったので駆け足だったが、ゆっくり見ていくのもまたいいのだろうと思った。見てて特に面白いと思ったのは陶磁器である。おちょこ一つとっても様々なデザインがあってみていて飽きないのである。おちょこ以外にもお皿や徳利なども売っていた。ちょっとほしかったが、持ち帰る際にたぶん割ってしまうと思い、思いとどめた。次は買いたい。

おつまみも多種多様で、それこそ米菓から海鮮類など、充実のラインナップだった。また、日本酒を飲みやすくする「ぽんしゅグリア」なるドライフルーツの入った瓶なども売っていた(なかに日本酒を注いでフルーティな日本酒として楽しむらしい)。

酒については抜かりねぇなという感想が残りました。

 

次回

もう少しだけ新潟での面白かった場所やおいしかったものについて書こうかなと考えています。せんべいとか。

それでは。

 

 

 

「帰省」その2

7年ぶりの再会

同級生の変化と成長

前回は土地にフォーカスを当てて振り返った。今回はタイトルにもあるように、7年ぶりに再会した友人から感じた変化と成長について自分なりに振り返る。

 

自分が新潟で過ごしていたのは中学一年生の終わりまで。それまでは野球部に所属していた。そこでのチームメイトは部活以外でもよく遊び、本当によくしてくれたし仲が良かったと思う。今回の帰省を企画してくれたのは、小学校の頃の野球のチームでキャプテンをしてくれたJ君だった(ちなみに彼の家に泊めさせてもらった)。

本当に面倒見がよくて、自分が尊敬する人の一人だ。そんな彼に感じた変化は、言葉遣いだった。今回の帰省で一番時間を共にしたのは彼なので一番話をしたのも彼なのだが、久しぶりに会った彼は常に丁寧語を使っていた。多少の距離感を感じたものの、他人行儀にするためにそうしているわけではないのだということは伝わってきた。おそらく彼が成長する過程で、彼を取り巻く環境が言葉遣いをフォーマルなものへと変化させていったのであろう。

また、自分が心から興味があることを趣味とし、何事も自分で経験してスキルを身に着けようとしている姿勢は、日々学び続けようとしている彼の向上心を表していると思う。彼は今、やりたいことをはっきりと答えられていた。

対比と反省(ただの自分語りです)

同じ大学生だとは考えられなかった(もっとすごいことをしている人もいるのだろうが)。そんな彼と自分を比べるのはおこがましいが、それに対して自分はどうだろう。大学へは周りの人が行って(言って)いるからなんとなくで進学し、大学の授業も単位が取れればいいやとなんとなく受け、なんとなく過ごしているただの穀潰しでしかない。彼と自分の間の大きな差は何なのかを考えてみた。

 

それは向上心と行動力だと思った。

自分は今まですべて人任せで生きてきた。趣味や進路も周りの人がそう言っていたからという理由でしか行動を起こせなかった。決して何かしようという気がなかったわけではないのだ。しかし、他人と違うということを恐れた(なぜこう考えるようになってしまったのかはまた別の機会で考えてみることにする)。自身の向上よりも安心、変化よりも安定を選んでしまう。臆病で芯が通っていない人間だったのである。

高校までは与えられた環境の中で決められたことだけをやれば、周りと自分の間にギャップが生じてないかを測ることができていた。自分の芯を立てなかったのである。

しかし、大学に入ってからは与えられた環境という尺度がなくなった。みんなそれぞれの尺度を持ち、その尺度に従って行動している。

それに対して、自分は他人の尺度に合わせて過ごしてきた今までのツケが回ってきた。自分から行動を起こせないので大学内の友人を作るのには苦労し、サークルは人に流されて入ったので大した愛着も持てず、迷惑かけるだけかけて放り投げて逃げ出し、数少ない友人たちにも迷惑をかけてしまった。他人としっかり向き合うことができなくなっていた。

 

自分の芯を持てないうちは向上心も行動力も身につくことはない。自分がどうなりたいのか、どうしたいのかもわからずにどこを目指して向上するべきなのか、行動するべきなのかが分かるはずがないのである。

彼に追いついて対等な立場に立つためには(この時点で他人に依存しているのだが)、自分の本当にしたいこと、やりたいこと、なりたいことをはっきりさせて成長するしかないのだと反省した。

 

これからのために

20年目にしてちゃんと自分の生き方を見直そうと思えたのは、今回の「帰省」のおかげだと思った。自分を振り返ったことを忘れずに、ダメな自分を変えようと思う。

今回ブログを始めたのも、自分が何を考えているのかを見える化して反省できるようにするため、そして公開することで「自分の」考えに重みを持たせるためである。

このブログを通してネガティブな自分との折り合いをつける一年にしよう。「悲劇のヒロイン」ぶるのはやめよう。ヒーローになれなくとも、せめてにぎやかし要員のモブになろう。

成長しよう。

 

次回:「帰省」その3

劣等感を拗らせた以外にも楽しいことはもちろんあったので、そっちのほうも追々文にできれば。

 

 

 

 

「帰省」 その1

思い出に帰る

自分にとっての二つのふるさと

 自分は親の転勤で何度か転校した。はじめは新潟へ行くことになり、10年して群馬に移動した。現在はまた別のところに住んでいるが、人格形成に大きな影響を与えたのはこの移動だったと思う。地域が違えば文化が違う問うことを学んだ。環境が違えば自分のふるまい方を変えなくてはいけないことも学んだ。自分を変わらず見せることの大変さと、生活環境のギャップを埋めることの困難さで自分を変えることでしか環境に適応できなかった。

 このことで表面上の付き合い方というのは身についたかもしれないが、根っからの親友というものは移動後には作れなかった。ただ、そこで作った友達は大事だしありがたいとも思っている。

 人付き合いは時間では測れるものではない。ただ、自分としては時間が人間関係を構築していってくれると思っている。自分は人付き合いがへたくそなので、時間をかけないと適度な距離感というものを感じられないのである。また、居心地の良さというのも比例してくると思っている。

 同様に土地に対しての愛着というのも時間が関係してくると思う。自分的に群馬の人々の郷土愛というのはすさまじいものがあると思っている。なんなら漫画の「お前はまだ群馬を知らない」で描かれている郷土愛の描写は八割がた事実であるといってもいい。そんな熱にあてられてか自分の中で群馬の存在が大きくなっていった。しかし、時間的には5年間ほどしかいなかったため、新潟以上にホームタウンという感覚は湧いてこなかった。安っぽい表現になってしまったが、過ごした時間というのはやはり大事だ。

 その後、群馬を出て大学で様々な地方の人と話す機会というのが増えて、改めて群馬というふるさとについて愛着がわくようになった。それと同時に久しく訪れていない新潟という、自分を育ててくれた土地へのあこがれも膨れていった。

 そんな時に、地元の集まりを企画してもらって新潟へと行く計画が立てられた。正直泣いてしまったほどうれしかった。

 

家無き帰省

夜行バスで7時間かけての移動だった。初めての夜行バスでワックワクだったが、当たり前ながら夜なので外は何も見えなかった。しかし、SAに着いて外に降りるたびに、寒さの質とでもいうべきか空気感の違いが感じられて確実に新潟に近づいているのが分かった。

 バスが市内へと入って新新バイパス(新潟に住んでいる人なら、たぶんほとんどの人が使ったことがあるはず)を走っているときには、昔の思い出が一瞬で思い出され、鼓動が早まるのを感じた。土地と人というのはつながっているということを感じた。

 小さい頃は電車が好きであったので、大きく変わったと聞いていた新潟駅を一緒に来た友人にわがまま言って散策させてもらった。新幹線のホームは変わっていなかったが、在来線の電車とホームが大きく変わっていたのには衝撃を受けた。

 転勤族であったので、一軒家などには住んでいなかった。無論、行った先では友人の家に泊めさせてもらった。(本当にありがとうございました。)その後、通っていた小学校や中学校を巡ったが、あまり変わっていなくて安心というか帰ってきたことを再認させてくれた。あとは、子供のころはあんなに広かった校区内も小さく、そして狭く感じた。あの頃は校区内が世界のすべてとでもいうくらい広く感じたものも、ちっぽけに感じた。これは自分が成長したことの証でもあると思うが、少し寂しかった。

 そして自分が住んでいた集合住宅にも訪れてみたが、全く変わっていなかった。変わっていたのは、自分たちが住んでいた場所に別の人が住んでいるというところだけだった。周りは何も変わっていないのに、その部分だけすごく歪んで見えた。それでも空き家になっているよりはうれしいと感じた。

 

まだまだ続きそうなのでここで一区切りつける。続きはまた別に書くことにする。

これまで、これから

今までを振り返る

まえがき

 このブログは誰も見ないかもしれない。それならば、人に自分のことを語ることで図々しいと思われるのが嫌で、しかし人に自分語りを聞いてほしいと思っているという、このジレンマを解消するのにこのブログというのはうってつけではないか。そう思って始めたものである。おそらく痛々しいものが出来上がるであろう。まあ、いいや。

 

それでは振り返っていこう。

簡単な最近の振り返り

 自分は大学生で、現在は春休みである。個人的な考えでは、大学生の一般的な長期休暇の過ごし方というものは友人たちと旅行や遊びに行くものであると思う。

 さて、自分はどうだろうか。二月は塾講師のバイトでずっと駆り出され、しかしお金はたまらず、これはもう完璧な自転車操業状態である。(貯金できていないのには自分のお金の使い方に問題があると思うのだが。)そして三月、新潟のほうに「帰省」に行った以外は特に遊んでいない。

 それなりに「大学生」しているとは思うのだが、行く先々で会う、同じ大学生の話を聞くとそうは思えないのである。

 例えば、「インターンに行った」とか「プログラミング独学で勉強してる」だったり、挙げれば枚挙にいとまがないのでこの辺にしておくが、とにかく自分を高めようとしている人たちの話を聞いて焦りしか感じなかった。

 大学は自分で学ぶ場であって、与えられたことをやればよかった高校や義務教育とは違うということを改めて思い知らされた。

 こういうことは他人と比べるようなものではないのだけれども、比べて劣っていることを確認し、自己嫌悪が止まらない。自分を絶対評価できる人の強さと自信がうらやましい。

 これが自分の近況だ。

 

これからのこと

 前述より、自分がいかに矮小でしょうもない人間なのか、だいたい理解していただけたと思う。(おそらく掘れば自分でも気づいていない、もっとひどい部分が出てくると思う。)これからは、そんな彼らに少しでも追いつけるようにこのブログを通して、自分を省みて、成長していくための糧にしようと思う。

 

 今回はこの辺にして、次回は新潟に「帰省」したことについて書こうと思う。

 

それでは。