太一のブログ

基本日記を書いていきます。

自分本位か他人本位か

SNSで自分の範囲が拡大している?

SNS自体が使われ始めたのは最近のことでないが、一つ気になる事象が見て取れるようになった気がする。それは、あるトピックに対してのリアクションがまるで我が事のようなものになっているというものだ。

 最近だと川崎の殺傷事件の、藤田孝典氏の見解に対してのリアクションが挙げられる。

 読み方によってはいろいろと考えられるところではあるが、この記事が触れているのは事件そのものではなく、事件を取り巻くSNS上での発言や考え方に対しての提言であると、自分は感じた。

 しかし、SNSでこの記事は炎上し、「被害者の方がこの記事を見たらどう思うのか」や「もっと考えて発言しろ」といった批判(的を射た批判かどうかは別として)が目立っていた。

 確かに、被害者の方の心情を思いやるのは大切なことだと思うし、事件に触れる記事を書くならば配慮する必要はあると思う。

 だが、この記事を読んだ人(被害者の方ではない人)が、なぜあたかも正義の人のように振舞い、被害者の心情を読み取ったかのように発言しているのか。被害者の方と会話をしたわけでもないのに。

 そういった言動自体があっても悪くはないと思うが、今回に限っては的外れな指摘ではないか。

 それこそ、先ほどの発言自体を筆者は批判しているのではないか。

こう思うわけである。

 

感情論の虚しさ

今回のように論理だてて物事を考えている人に対して感情論をぶつけて議論が成り立たなくなってしまうのは、もったいない。感情論は思考を停止させていることと何ら変わりはない。

感情を振りまくことは周囲に大きな影響を与える。テレビのワイドショーなどでセンセーショナルな映像がよく用いられるのはそういった理由だ。しかし、これによって伝わるのは、「誰が」や「どんな気持ち」といった情報だけで、「なぜ」という原因を考えさせるきっかけを与えてくれるわけではない。与えようとしているのかもしれないけれど、限りなく目を向けづらくさせているのにはかわりがない。

考えることは、難しいし疲れる。しかし、思考をやめてしまうならば、それは感情をコントロールできていない子供となんら違わないのだ。

情報を入手する際には「考えること」を意識しておきたい。