就活の愚痴
「予定人数を大きく上回る参加希望が寄せられたため、エントリーシートをもとに選考をさせていただきました。その結果、今回はご希望に添うことができませんでした。
大変申し訳ありません。」
いったい何度この文を見ただろう。
自分のESを出すときは、何とも言えないワクワク感を抱き。
「通ったらいいなー」とか言って落ちた時の保険をかけるために同期と話し。
内心では「これだけやったんだ。絶対通過する」とかいう謎の自信を持ち。
上の文を見て、「やっぱだめかー!」って言ってみて。
でも内心、死ぬほど悔しくて。どこがダメだったのか、何が足りないのか考える。
すると、話し相手の同期は嬉しそうに、「ES通ってたー!次は面接だぁ!」と言う。
「おめでとう!」心からそう思うし、この後も頑張ってほしいと思う。
だけど何が違う?どうやって通過した?何がそんなに刺さった?
おめでとうを口にしたその直後にはそう考えることしかできなくなっている。ほかの人と比較して、羨んでばかりだ。
「ESというのは自分がどういう人間なのかを見てもらうものだ。だからこれまでの自分の人生を詰め込んで書け」
偉い人がそう教えてくれた。言われた要点を抑えて、自分らしさが最大限出るよう、書いたはずだった。
でも理解してもらえないから選考で落とされる。
そのたびに先輩は、
「自分自身を否定されたように感じるかもしれないけど、そうじゃないから気に病む必要ないんだよ」という。
じゃあどこがダメだった?キレイな文を書きすぎ?自分史上一番うまくいったことを書いているんだからそうなるに決まっている。それで落とされるってことは、企業に「お前じゃ役不足」といわれているようなもんじゃないか。否定されてるんだろう?
「全員は選べない。だから皆さんにESを提出してもらっている。でも我々はダメだから落としているんじゃない。よさそう・合いそうと思った人を選ぶ」そう採用担当者が言った。
結局ESで魅力を感じられるような体験・経験してる人が選ばれるんだろう?俺の人生には魅力がないと突き付けられているようなものじゃないか。だったら最初からそう言ってくれよ。期待を持たせないでくれよ。「お前じゃ無理」。そう言ってくれよ。
萩生田文部大臣の「身の丈に合った」発言もあながち間違いじゃないんじゃないのか。
「結局、その会社との縁があったかないかでしょ?」
縁がなかったらノーチャンスですか、そうですか。なら最初から教えてくれ。結果を突きつけられるまでの時間が一番つらいし、もったいない。でも現実そうじゃないんだから、そんな簡単な言葉で片づけないでほしい。虚しくなる。
そんな事実を突きつけられるたび、自分がすり減っていくように思う。苦痛でしかない。
「褒められたい 認められたい まだまだもっと惚れさせたい
なら褒めなきゃ 認めなきゃ 惚れさせなきゃ そうまず俺から」
KREVAの「Revolution」という曲の一節。
ホントその通りだと思う。自分のことばかり押し付けていやしないか、振り返る。
今の就職活動は売り手市場だといわれている。その言葉に甘えていたんじゃないのか。
ここから先は、衰退していく業界だからといって人気薄なわけではないだろう。
就職活動の本質はどんな時だって変わらないんだろう。結局は人と人との相性を確かめる場なんだから。その人と人のやり取りに、どちらかが偉くてどちらかが下手に出るなんてことはないだろう。
何が良くて、何がダメで。どうすれば伝わって、どうなると伝わらないのか。
折れるたびにこうして吐き出そう。
そうやってこれから数か月間、就活が終わるまで、何度も心を折られても、考えて、向き合って、乗り超えよう。
日々を大切にして。
「誰にだって 平等な一日 この手で自ら広げる陣地
後はいかにそれをどう楽しめるか 後はいかにそれをどう楽しめるか」