太一のブログ

基本日記を書いていきます。

「帰省」 その1

思い出に帰る

自分にとっての二つのふるさと

 自分は親の転勤で何度か転校した。はじめは新潟へ行くことになり、10年して群馬に移動した。現在はまた別のところに住んでいるが、人格形成に大きな影響を与えたのはこの移動だったと思う。地域が違えば文化が違う問うことを学んだ。環境が違えば自分のふるまい方を変えなくてはいけないことも学んだ。自分を変わらず見せることの大変さと、生活環境のギャップを埋めることの困難さで自分を変えることでしか環境に適応できなかった。

 このことで表面上の付き合い方というのは身についたかもしれないが、根っからの親友というものは移動後には作れなかった。ただ、そこで作った友達は大事だしありがたいとも思っている。

 人付き合いは時間では測れるものではない。ただ、自分としては時間が人間関係を構築していってくれると思っている。自分は人付き合いがへたくそなので、時間をかけないと適度な距離感というものを感じられないのである。また、居心地の良さというのも比例してくると思っている。

 同様に土地に対しての愛着というのも時間が関係してくると思う。自分的に群馬の人々の郷土愛というのはすさまじいものがあると思っている。なんなら漫画の「お前はまだ群馬を知らない」で描かれている郷土愛の描写は八割がた事実であるといってもいい。そんな熱にあてられてか自分の中で群馬の存在が大きくなっていった。しかし、時間的には5年間ほどしかいなかったため、新潟以上にホームタウンという感覚は湧いてこなかった。安っぽい表現になってしまったが、過ごした時間というのはやはり大事だ。

 その後、群馬を出て大学で様々な地方の人と話す機会というのが増えて、改めて群馬というふるさとについて愛着がわくようになった。それと同時に久しく訪れていない新潟という、自分を育ててくれた土地へのあこがれも膨れていった。

 そんな時に、地元の集まりを企画してもらって新潟へと行く計画が立てられた。正直泣いてしまったほどうれしかった。

 

家無き帰省

夜行バスで7時間かけての移動だった。初めての夜行バスでワックワクだったが、当たり前ながら夜なので外は何も見えなかった。しかし、SAに着いて外に降りるたびに、寒さの質とでもいうべきか空気感の違いが感じられて確実に新潟に近づいているのが分かった。

 バスが市内へと入って新新バイパス(新潟に住んでいる人なら、たぶんほとんどの人が使ったことがあるはず)を走っているときには、昔の思い出が一瞬で思い出され、鼓動が早まるのを感じた。土地と人というのはつながっているということを感じた。

 小さい頃は電車が好きであったので、大きく変わったと聞いていた新潟駅を一緒に来た友人にわがまま言って散策させてもらった。新幹線のホームは変わっていなかったが、在来線の電車とホームが大きく変わっていたのには衝撃を受けた。

 転勤族であったので、一軒家などには住んでいなかった。無論、行った先では友人の家に泊めさせてもらった。(本当にありがとうございました。)その後、通っていた小学校や中学校を巡ったが、あまり変わっていなくて安心というか帰ってきたことを再認させてくれた。あとは、子供のころはあんなに広かった校区内も小さく、そして狭く感じた。あの頃は校区内が世界のすべてとでもいうくらい広く感じたものも、ちっぽけに感じた。これは自分が成長したことの証でもあると思うが、少し寂しかった。

 そして自分が住んでいた集合住宅にも訪れてみたが、全く変わっていなかった。変わっていたのは、自分たちが住んでいた場所に別の人が住んでいるというところだけだった。周りは何も変わっていないのに、その部分だけすごく歪んで見えた。それでも空き家になっているよりはうれしいと感じた。

 

まだまだ続きそうなのでここで一区切りつける。続きはまた別に書くことにする。