太一のブログ

基本日記を書いていきます。

「帰省」その2

7年ぶりの再会

同級生の変化と成長

前回は土地にフォーカスを当てて振り返った。今回はタイトルにもあるように、7年ぶりに再会した友人から感じた変化と成長について自分なりに振り返る。

 

自分が新潟で過ごしていたのは中学一年生の終わりまで。それまでは野球部に所属していた。そこでのチームメイトは部活以外でもよく遊び、本当によくしてくれたし仲が良かったと思う。今回の帰省を企画してくれたのは、小学校の頃の野球のチームでキャプテンをしてくれたJ君だった(ちなみに彼の家に泊めさせてもらった)。

本当に面倒見がよくて、自分が尊敬する人の一人だ。そんな彼に感じた変化は、言葉遣いだった。今回の帰省で一番時間を共にしたのは彼なので一番話をしたのも彼なのだが、久しぶりに会った彼は常に丁寧語を使っていた。多少の距離感を感じたものの、他人行儀にするためにそうしているわけではないのだということは伝わってきた。おそらく彼が成長する過程で、彼を取り巻く環境が言葉遣いをフォーマルなものへと変化させていったのであろう。

また、自分が心から興味があることを趣味とし、何事も自分で経験してスキルを身に着けようとしている姿勢は、日々学び続けようとしている彼の向上心を表していると思う。彼は今、やりたいことをはっきりと答えられていた。

対比と反省(ただの自分語りです)

同じ大学生だとは考えられなかった(もっとすごいことをしている人もいるのだろうが)。そんな彼と自分を比べるのはおこがましいが、それに対して自分はどうだろう。大学へは周りの人が行って(言って)いるからなんとなくで進学し、大学の授業も単位が取れればいいやとなんとなく受け、なんとなく過ごしているただの穀潰しでしかない。彼と自分の間の大きな差は何なのかを考えてみた。

 

それは向上心と行動力だと思った。

自分は今まですべて人任せで生きてきた。趣味や進路も周りの人がそう言っていたからという理由でしか行動を起こせなかった。決して何かしようという気がなかったわけではないのだ。しかし、他人と違うということを恐れた(なぜこう考えるようになってしまったのかはまた別の機会で考えてみることにする)。自身の向上よりも安心、変化よりも安定を選んでしまう。臆病で芯が通っていない人間だったのである。

高校までは与えられた環境の中で決められたことだけをやれば、周りと自分の間にギャップが生じてないかを測ることができていた。自分の芯を立てなかったのである。

しかし、大学に入ってからは与えられた環境という尺度がなくなった。みんなそれぞれの尺度を持ち、その尺度に従って行動している。

それに対して、自分は他人の尺度に合わせて過ごしてきた今までのツケが回ってきた。自分から行動を起こせないので大学内の友人を作るのには苦労し、サークルは人に流されて入ったので大した愛着も持てず、迷惑かけるだけかけて放り投げて逃げ出し、数少ない友人たちにも迷惑をかけてしまった。他人としっかり向き合うことができなくなっていた。

 

自分の芯を持てないうちは向上心も行動力も身につくことはない。自分がどうなりたいのか、どうしたいのかもわからずにどこを目指して向上するべきなのか、行動するべきなのかが分かるはずがないのである。

彼に追いついて対等な立場に立つためには(この時点で他人に依存しているのだが)、自分の本当にしたいこと、やりたいこと、なりたいことをはっきりさせて成長するしかないのだと反省した。

 

これからのために

20年目にしてちゃんと自分の生き方を見直そうと思えたのは、今回の「帰省」のおかげだと思った。自分を振り返ったことを忘れずに、ダメな自分を変えようと思う。

今回ブログを始めたのも、自分が何を考えているのかを見える化して反省できるようにするため、そして公開することで「自分の」考えに重みを持たせるためである。

このブログを通してネガティブな自分との折り合いをつける一年にしよう。「悲劇のヒロイン」ぶるのはやめよう。ヒーローになれなくとも、せめてにぎやかし要員のモブになろう。

成長しよう。

 

次回:「帰省」その3

劣等感を拗らせた以外にも楽しいことはもちろんあったので、そっちのほうも追々文にできれば。